さて、昨日はキャラクターが子どもたちに与える影響として『遊べない子』になるとお伝えしました。
キャラクターが子どもに与える力は強く、子どもにとってとても魅力的なものですが、それゆえに子どもの遊ぶ力を奪う結果になってしまっていることがあるのです。
それはどのようなことなのか?今日は詳しくお伝えしていきたいと思います。
現在、現場でひしひしと感じることは、新入園児の中にはかなりの割合で「遊べない子・遊ぶ力の弱い子がいる」ということです。
そんな子達が決まってするのが、キャラクターの物やおもちゃ・服のイラストなどを示して、大人に繰り返し繰り返しアピールしてくることです。
つまり、その子たちは遊ぶ力がない・弱いために、遊びを通して「私はここにいるよ・見て」というができずに、自分と大人の共通の話題になるであろうキャラクターを示すことで自己を主張しているわけです。
また、遊びがどうしても偏ってしまい、キャラクターの魅力だけで遊びが終わってしまいます。
遊ぶ力がない・弱いと言っていますが、それはその子がもともと能力がないというわけではありません。
そこまで成長する過程で適切に遊ぶ力を伸ばしてもらえなかったということです。
現代では大人も子どもと遊ぶことが上手ではない(または遊びの大切さを理解している方が少ない)ので、キャラクターものなどを便利に利用して子どもの気を引き、それを与えることで子どもが満足してしまうのでそうなってしまうのでしょう。
もちろん、乳幼児期に親がどんなに排除しようとしても、成長するにつれて色々なところでそれらを目にし、だんだんと興味がうつってしまうことは避けられないといっても過言ではないと思います。
けれど、特に乳幼児期にはキャラクターの魅力で遊びを完結させることのないように配慮してあげた方がいいでしょう。
コラムでも何度か取り上げていますが、「遊び」は大人が考える以上にたくさんのものを子どもに身につけさせ、伸ばしているのです。
キャラクターものに染まってしまった子は、例え目の前に良い積み木があってもなかなか遊べません。
ヒーローものなど(はっきり言ってしまえば暴力的ともとれる)の刺激も伴ったものであればなおさらです。
積み木で遊んでもあまり発展せず、じっくり遊びこめるところまでなかなかいきません。
キャラクターものはそれ自体に大きな魅力があるので、能動的に関わる余地があまりないのです。
そのため、能動的に関わることが必要な(またはそれを伸ばす)良質の遊具の面白さに到達するまでの過程(=試行錯誤や集中力など)がなくなってしまいます。
もちろん、”かっこいい!自分もあんな風になりたい!”という憧れもあるのでしょう。しかし、それらはどうしても「やられた・やっつけた」だけで終わってしまう世界です。まさに、キャラクターの魅力だけで遊びが完結してしまうのですね。
”自分でこんな風に工夫してみよう、こうしたらどうか?”などという能動的な関わりの遊びにはなかなか発展しないのです。また、あまりにも染まっている子だと、自分のやりたい気持ちばかり先行して、相手の思いに気づけないということにも繋がります。
そのままの状態で年齢を重ねていけば・・・それを超えるのはさらに刺激の強いものだけになってしまいます。
これらのことを総合的に考えると、乳幼児期というさまざまな能力の基礎を作る大切な時期にはキャラクターであまりつらないほうがいいと私は考えています。
なぜなら、それらがなくても子どもは十分に遊ぶ能力を持っているのですから。
ちょっとキャラクターが多すぎかな?と感じたら、少しずつ減らしていけるといいですね。
Category 専門家コラム 2015.05.23