前回は山本五十六の言葉こそ、『本当の教育』をあらわしているということをお伝えしました。
(→「山本五十六に学ぶ!子どもたちにも必要な、『本当の教育』とは。」)
”本当の教育について考える”2回目の今日は、現代人が上手く出来なくなっている『誉める』ということを考えます。
目次
誉めるということは本来、おだてることでも、モチベーションを上げるために使われることでもありません。
誉めるとは、『本人が自分はこれでいいんだ!こうしていくんだ!』と思えるよう、『道しるべを作ってあげること』です。
それは同時に、『本人が目的地まで自分の足で歩いてもらうようになる』ことでもあります。
誉めるということは、企業の教育にとっても重要ですが、これから自分の足で歩こうとしている子どもたちにとってはさらに重要になってきます。
「○○が出来てすごいね!じゃあ次はこれをやってね!」
「これが出来たんだからこれも絶対出来るよ!」
時と場合・状況によっては使われる言葉ですが、頻繁にこれらの言葉を使われるとどうでしょう?
これって誉めていることになるのでしょうか?
なんだか、”本人の道しるべを作る”というよりも、”親が自分の思い通りの道しるべを作ろうとしている”ように感じませんか?
教育については簡単に分けると2つの方法があると言われています。
「出来なかったら怒るよ!」
「○○ちゃんは出来るのに!」
などとプレッシャーを与えるのが”押す”ということ。
反対に、
「これが出来たら○○を買ってあげるよ!」
「将来のあなたのためなのよ」
などとおだてたり、特別なご褒美でつるなどということを”引く”といいます。
このようなことを繰り返していれば、子どもはプレッシャーで親の言いなりになってしまうか、自分で歩くことをやめてしまう、ご褒美がないと動かない人になってしまいますよね。
そうではなく、出来たところをしっかり認めて誉め、まだできていないところは山本五十六の言葉通りに教えていけば、『自分で考え、自分の足で自分の道を歩く人に成長する』ことが出来るのです。
思考の3段階とは、『方法ではなく、考え方を教える』ことをあらわしています。
段階としては・・・
判断を人に委ねる
↓
規則・マナーなどを基準にする
↓
人として正しい基準を自分で持つ
の3段階にやっています。
これは、”判断を人に委ねるのではなく、規則やマナーに従って自分で考えましょう。さらに、規則やマナーにとらわれすぎることなく、人として正しい判断基準をもって行動しましょう”ということです。
もちろん、法律などはしっかり守らなくてはなりませんが、実際にこんな事例がありました。
”ある保育園での出来事です。
その日、保育士と子どもたちは園外へ散歩へ出かけました。
帰り道、子どもが道で転んでけがをし、泣いてしまいました。
しかし、その保育士は子どもを助けようとしませんでした。
それを見ていた別の保育士が子どもを助け起こし、無事に園へ帰りました。
園長が「なぜ助けなかったのか?」とその保育士に尋ねたところ、こう保育士は答えました。
「だって今回の場合はどうすべきなのかがマニュアル(その園での子どもの対応の仕方の規準資料だと思われる)にのっていませんでした。だからどうしたらいいのかわからなかったのです。」と”
これは、作り話でも何でもなく、実際にあった出来事です。
確かに、ルールを守ることは大事です。その方はルールにのっていないことはしてはいけないと思ったのでしょう。
しかし、目の前で困っているときに手を差し伸べるのは、人として大切なことですよね。
”人として正しい基準を自分で持てる”ことがいかに大切かがわかる事例です。
『教育』ということについて2回に渡って考えてきた今回。
上記の事例などをみると、いかに教育をするかということが大変で大切なのか、わかりますね。
教育とは、もろもろありますが、とどのつまり、『本人が目的地まで自分の足で歩いていけるよう、環境を整えたり、道をはずれたら軌道修正して正してあげること』なのです。
『自分で』というところがポイントですね。
相手が可愛い自分の子どもだと、なかなか難しいかもしれませんが、教育には”忍耐”と、”できないのは教える側の責任だ”と思う責任感が必要。
教育とは教える側の修行なのです。
これを機に、企業内教育はもちろん、ご家庭での教育についても、「”本当に”教育が出来ているかな?」と今一度振り返ってみてくださいね!