卒園、卒業式を終え、新たな環境に踏み出すこの季節。
新しい環境、出会いに子ども達もドキドキ・ワクワクしていることかと思います。
しかし、ドキドキしているのは子どもだけではありません。
親の方がドキドキする~!
ということも中にはあるのです。
その1つが「お弁当」。
幼稚園の先生をやっていた、と言うと、この時期必ずといっていいほど尋ねられるのが、
「お弁当、やっぱりみんなすごいんですか?」
「キャラ弁とか持ってくる子、多いんですか?(私もキャラ弁作った方がいいのかな)」
※キャラ弁=アニメなどのキャラクターをかたどったお弁当
「どんなお弁当を持たせてあげるべきか悩んでいるんです・・・」
ということ。
「”毎日お弁当”だと気が重い・・・」
という声も聞こえます。
なぜ、日本人は”子どものお弁当”にこんなに過敏になるのでしょうか。
目次
なぜ、日本人がお弁当に気合をいれるのか、の理由をお伝えする前に、上記にも出た、
・お弁当はすごいのか
・キャラ弁を作るべきなのか
という問いに関してお答えします。
答えは、「皆様が思っているより普通」です。
確かにキャラ弁を持ってくる子も中にはいます。
けれど、全員が全員キャラ弁を持ってくるわけではありません。
キャラ弁じゃなくとも、ウィンナーをタコさんにしたり、卵焼きをハートの形にしたり、ハムをお花にしたり、というお弁当もあるにはありますが、お弁当の中身がすべて気合の入った、
”キラキラ、可愛い~!”
というわけではありません。
インターナショナルスクールになるとその頻度は更に低くなります。
もちろん、皆様愛情を込めて作って下さっているのは間違いありませんが、初入園で初お弁当を迎える世の中のお母様・お父様たちが考えているような、キャラクターや可愛くかたどったおかず満載のお弁当は実はそれほど多くはないのです。(もちろん、園によっての差はあります。)
そもそも、日本でいう、ご飯があって、おかずがあって・・・という「普通のお弁当」でも海外では衝撃的なくらい、「手の込んだお弁当」なのです。
なぜかというと、海外のお弁当は日本人が衝撃を受けるくらい(言い方が適切ではないかもしれませんが)、”簡素”なのです。
私がイタリアへ行ったときのこと。
列車の中で、お隣に座っていたイタリア人のご家族が、列車の中で昼食をとられる様子に遭遇しました。
日本だと、列車の中で食べるお弁当は家から作っていくか、出来合のものを買っていくかの2択がほとんどだと思います。
けれど、お隣さんはスーパーの袋をなにやらごそごそ・・・
出てきたのは、
・パン
・生ハム
・チーズ
・ぶどう
でした。
いったい何が始まるのかと思いきや、なんとその場でパンを手で切って、間にハムやチーズを挟んで、お弁当を作ったのです。
デザートのぶどうは着ていた服で拭いてから口へ。
映画の中でりんごを服で拭いて食べる、というシーンを見たことがありますが、まさにそれが目の前で起こったのです。
日本で例えると、列車のなかでおにぎりを握るようなもの。
日本ではこの光景はなかなか見られないだろうなぁと思い、とても新鮮でした。
また、インターナショナルスクールで働いていた時には、こんなお弁当にも出会いました。
2歳6ヶ月(当時)のスウェーデン人の子のお弁当は、「フルーツ&お菓子」でした。
このように、海外でお弁当を持っていく、というと、
”パン1つとりんご1個”
”サンドイッチとフルーツ”
など、本当に簡単なものが主流です。
しかも、それすらもお手伝いさんが用意するというご家庭もあるのだとか。
特に、遠足の時などはすべて捨てられるようにとさらに簡単なものになります。
インターナショナルスクールで働く外国人の先生はいつも言っていました。
「日本のお弁当ってすごく凝ってるよね!
毎朝これを作ってくれるって素晴らしいなぁ~」
と。(not キャラ弁)
今、海外でOBENTOが注目されていますが、それは決してキャラ弁だから、ではなく、日本のお弁当の持つ、
・美しさ
・栄養バランスの良さ
が理由なのです。
ではなぜ、日本人は”子どものお弁当”にこんなにも気合をいれるのか。
それは、「子どものお弁当の出来=親としての評価に繋がる」と信じ込んでいる大人が多いからです。
キャラ弁を作る親=子どものために頑張る、愛情溢れた良い親
昨晩の残りを詰めるなど、お弁当に手を掛けない親=子どもへの愛情が足りない親
という評価基準が貴方の中にもないでしょうか。
この評価基準があるからこそ、子どもに手の込んだ、気合の入ったお弁当を作ってあげなくては親失格!のように感じてしまい、必要以上にお弁当に価値を与えてしまうのです。
当然、お弁当の内容によって親の子どもへの愛情が量れる、左右されるわけではありません。
また、中にはこんな理由もあるかもしれません。
「可愛いキャラ弁を作ってあげないと、子どもが惨めに思われるかも・・・」
という不安からくるもの。
これに関しても、そんな不安は持たなくても大丈夫!と自信を持ってお伝えすることが出来ます。
前述したように、お弁当に勝手に価値基準(キャラ弁がすごい、それ以外はダメ等)をつけてしまうのは、親(大人)の勝手な価値観です。
子どもにとってはどんなお弁当でも、大好きな親が作ってくれた大好きなお弁当。
確かに、Aちゃんのお弁当可愛い~!と見れば素直に言いますし、お家でAちゃんみたいなお弁当がいい!と言うかもしれません。
でも、そう言ったからといって、自分のお弁当は惨めだからいや!と思っているわけではないのです。
日本の幼稚園とインターナショナルスクールで幼児教育の現場を12年見てきて、毎日のお弁当の時間には、どの子も
「見て~!」
「Look at this!」
と必ず自慢げに、嬉しそうにお弁当を見せてくれました。
「パパが作ってくれたの!」
「これ、好きだから入れてくれたんだよ!」
など、どの子も本当に嬉しそう。
キャラ弁であるかどうかなんて、子どもにとっては関係ないのです。
だって、親が一生懸命作ってくれていることを、子どもは本能で知っているからです。
このお弁当が素晴らしくて、このお弁当は惨め。
このように優劣を作り上げてしまうのは、いつからでしょうか。
少なくとも未就学児までは、(これとこれは違う、と比較できるようにはなっても)お弁当に優劣をつけることはありません。
お弁当にも優劣をつけてしまうのは、親(大人)の価値観が子どもに影響を及ぼすからです。
・みんなと同じようにしなくてはいけない。
・キャラ弁なら、キャラ弁を作らなきゃいけない。
お弁当にも、日本人ならではの、「みんなと同じでなくてはいけない。はみ出してはいけない」という意識が刷り込まれているように感じます。
こんな時こそ、世界の事例をみて、見識を広げてみてください。
繰り返しになりますが、お弁当の内容によって子どもへの愛情度が量れる(もしくは量られる)、ということは(よっぽどのことがない限り)ありません。
むしろ、お弁当に必要以上に価値を持たせてプレッシャーに感じてしまう方が大問題。
食べる方はもちろん、作る方も、もっと気軽に楽しく、日本の価値観に振り回されずに、お弁当と向き合ってみてくださいね!
子ども&貴方の可能性は無限大!
Category 世界の文化 . 専門家コラム . 親と子のコミュニケーション . 食育 2019.03.25