先日、バイリンガル教育についてとても興味深い記事を発見しました。
それが、日独ハーフのサンドラ・ヘフェリンさんが書いた、『バイリンガル教育をすべき?』という記事。
読んでみると、実際に二つの国をルーツに持つサンドラさんだからこそ言えることがたくさん書いてあり、とても参考になりました。
私も『せかいく』を運営している身として、また、2つのインターナショナルスクールに勤務していた者としてすごく勉強になりました。
そんな中で、今日は”親の都合編。”と称して、私がなるほどなぁと感じた、親が覚悟するべきことを3つ紹介したいと思います。
目次
サンドラさんは、バイリンガル教育を検討するとき視野に入れておきたい点として、「親側の都合」をあげています。
「子どもにバイリンガル教育をする場合、親側に必要なのは財力・体力・時間・根気のどれか。
全てが整っていなければいけない、というわけではなく、どれかが欠けていても他の面でがんばれば補充可能だととらえていただきたい。」
とサンドラさん。
例えば日本人の親が子どもに日本語を教えたい場合、十分に時間をとって子どもと過ごす時間があればよいが、共働きなどで十分に教えられる時間がないなら、日本人のシッターを雇う必要があるなど、ある程度の財力は必要になる。
また、「体力」と「根気」が必要な点については、
「親が子どもに両方の言語を覚えるように仕向けても、子どもが必ずしもその作戦にのってくれるとは限らないから。語学に限ったことではないけれど、子どもは親の作戦通りになかなかいかない。だから子どもが「嫌だ!」と言ったり、思ったより子どもが語学面で伸びなくても根気よく続けていくことだ。そしてそれは親の根気 & 体力勝負だったりするんですよね。」
と述べています。
まさにその通り!親側の思いばかりを押しつけても、”子どもにとってはいい迷惑なのだろうな”と感じる姿をよく目にします。
親はとかく、早くて目に見える効果を期待しがちです。しかし、目の前のことばかりに囚われすぎるのではなく、子どもの将来の姿を考えながら接して欲しいと思っています。
バイリンガル教育をするために家庭内のルールを決めたら(例:母親とは日本語で、父親とはドイツ語で話す等。)、それを徹底して守る覚悟も必要なようです。
「子どもに語学を覚えさせるには親自身が恥を捨てる必要があったりもする。親がある意味 KY でないと、子どものバイリンガル教育はやってられないところがある。というのはバイリンガル教育って必ずしも周り全員が応援してくれるとは限らないから。」
なるほど。確かに両親の中で”こうやって育てる”と決めても、その方針が全員に理解させるのは難しいですよね。
サンドラさんの記事の中にもありますが、特に祖父母は自分のわからない言語で孫が話をしているのはさびしいようです。
また、明らかに日本人同士なのに外国語でしゃべっていると「え?」という顔をされるというのもわかります。
バイリンガル教育をするには、周りの目を気にすることなく、家庭のルールをどこでも守るということが大切なのですね。
さて、最後の覚悟はバイリンガル教育は壮大なプロジェクトだということです。
「バイリンガルっていうのは、「結果」であって、そこまでいくための道はボコボコだっていうこと。色んなハードルがあるだけに、どんなに沢山「石」を置かれても、そしてその「石」がどんなに大きくても、それにこたえない図太さが親子そろって必要だと言えます。
バイリンガル教育を1つの “プロジェクト” だととらえて、そのプロジェクトをやり遂げるまではふんばる根気と覚悟が必要ということです。大人になったバイリンガルはいわば ”完成版” として「うらやましい」存在であることが多いけれど、そこまで行く十何年の間には、恥ずかしい思いをしたり、KY だと思われたり、など色々な過去があるのです」
とサンドラさんが言うように、一朝一夕では身につかないのがバイリンガルなのです。
バイリンガル教育がプロジェクトであるならば、”小さいうちにやらせなきゃ!”といって、幼児期にばかり力を注ごうとするのはちょっと違うのではないかなと思います。
本当にバイリンガルに育てたいと思うのなら、『どのようなプロセスをたどるのが、その子の将来にとって一番いいのか』を常に家族で考えていくことが必要なのですね。
今回はバイリンガル教育のための親の覚悟を3つほどご紹介しました。
実体験に基づいている記事として、とても参考になり、『せかいく』の思いとも通じる部分があると感じました。
次回はサンドラさんの記事の中でも「こども目線」の部分をご紹介したいと思います。
お楽しみに!
Category 世界の文化 . 専門家コラム . 親と子のコミュニケーション 2015.06.14