日本の小学校や中学校などでは、「掃除の時間」といって、自分たちで教室やトイレを掃除する習慣がありますよね。
私も幼稚園で勤務していたとき、大掃除と称して子どもたちと一緒にロッカーや椅子、床を雑巾がけしていました。
この習慣、海外ではあまり見られない光景です。なぜなら、掃除をすることを仕事にしている人がいるからです。
この光景を知る外国人の方からは、「なぜ掃除をするのか?」「業者がいないのか?」「雑巾じゃなくてモップを使えばいいのに」など、様々な意見が聞かれます。
けれど、私は業者に頼むのではなく自分たちでやること、モップではなく雑巾でやることが大切なのだなと感じています。
まず、自分で使ったものを掃除することで物を大事にする心が育まれます。いわゆる情操教育になるのですね。
また、モップを使わず、“雑巾で”というところもポイントです。
自分の手で直接物に触れながらキレイにすることで、物を大切にしようという意識がまし、“責任をもって使う”ということにも繋がるのです。
モップで間接的になると、どうしても乱雑になりがちです。
この、物に対する意識は保育にも違いを生んでいると思います。
ご存じのとおり、日本は八百万の国で、様々な物に魂が宿っていると考えられています。
それが、保育にも違いを生むのです。
例えば、物を乱暴に扱った時。
もちろん、その行為自体にも注意しますが、「積み木さんも痛いっていってるよ」などということはありませんか?
物に“さん”をつけて、物の気持ちを伝えながら注意するのは海外ではなかなかありません。
“物は物”なので、そこにフォーカスすることはないのです。
インターナショナルスクールで働いていると、私は物の気持ちも伝えながら注意をすることに対して、ネイティブは行為自体のみを注意するという場面にたびたび出会い、海外との違いを感じて、面白いなと感じます。
日本人と海外の人の持っている感覚の違いは、日常の些細な場面で見られます。
今回は掃除から見える日本の文化的背景や物の見方でした。
それを面白い!と感じることは、国際化する社会の中でも大切な感覚なのだと思います。
けれど、なんでも海外の真似をして、「海外ではやっていないので、子どもたちが自分で掃除をするのをやめましょう」にはならないで欲しいと思います。
なぜなら、子どもの時からのこの習慣が、大人になっても物を大切にできる、キレイに掃除、整頓できることへと繋がっていくのですから。