近年ますます国際化、グローバル化が過熱している日本。
・AIなどのテクノロジー技術の進歩により失われる職業がある
・外国人雇用の増加により、グローバルに対応できないと社会で生きていけない
など、我が子が社会に出る20年後にどのような世界が待っているか分からないからこそ、
「どんな世界になっても対応できる(生きていける)、つまり、グローバルに活躍できる子に!」
という想いが子育て業界、教育業界にも溢れています。
政府やビジネス業界でも”グローバル人材を”ということがキーワードになっており、グローバル人であることが今後の社会の必須要項だと考えられています。
しかし、グローバル人とはいったどんな人なのでしょうか。
「グローバル人=英語(外国語)が流暢に話せる人」
だと思っていないでしょうか。
実はそれは大間違いなのです。
教育においても小学生から英語の授業が取り入れられるようになったこともあり、
「これからの社会に対応するためには、やはり英語をやらせなくては!」
「我が子がバイリンガル、マルチリンガルになれば社会で活躍出来る!」
と、思い込み、生まれた時から英語教材を与えたり、親子教室に通わせたり、インターナショナルスクールに入園させ、乳児期から就学前の集団生活を英語で過ごさせたりする方も増えてきました。
しかし、前述したように、英語=グローバル、これからの社会で活躍できる、というのは幻想です。
英語を話せる人が活躍できる人であるならば、
『英語を話す民族の人はすべて、世界中どこでも(グローバルで)活躍できる人』
となります。
つまり、英語を母国語とするアメリカやイギリスなどの国の人々は全員、グローバル人ということになるのです。
もちろん活躍されている人はそれぞれの国でたくさんおりますが、英語を話す全員の人がそうではありませんよね。
ビジネスで世界を飛び回っていたり、海外に拠点を持っている企業の社長の方々と会食をしても、皆様口を揃えておっしゃることは、
「英語ができるだけではダメ。」
ということです。
これは、世界中どこでも活躍し、愛される”世界人”になるためには、外国語の習得だけでは足りないということを示しています。
※せかいくでは、どんな社会にも対応でき、世界中のどこでも活躍することができて愛される人間力を持った人材をグローバル人ではなく、”世界人”と呼んでいます。そのため、以後は”世界人”と表記いたします。
ではなぜ今、世界中で活躍でき、愛される“世界人“が求められているのでしょうか。
それは、今後ますます国際化・多様化し、様々なバックグラウンドを持つ方と過ごす社会になるからこそ、日本人である、という強みを持ちながらも、
・自分とは違うことを認める=世界の多様性を認めることができる
・世界から見た自分を分かっている、意見を発信することができる
・多様な人々とお互いが気持ちよく過ごしていける術を知っている
など、世界規模の価値観を持つことが、個人の持つ能力を活かす、すなわち、国際化社会での活躍に繋がるからです。
国際化・多様化する世界では、これまでと同じように自分の巣の中に閉じこもる(=自分の価値観しか認めない)のではなく、自分の巣を持ちながらも、他の巣へ興味関心を持ち、マナーを守って訪問できる(=自分を持ちながら、自分とは違う価値観も受け入れられる)人が活躍できるのです。
日本は誰しもが知るように島国であり、植民地化された歴史のない稀有な国。
日本語という統一言語もあり、誰もが母国語で教育を受けられる国でもあります。
だからこそ「日本人」としての絆が深まり、結束力があるなどの良い面も確かにあります。
しかし、残念ながらその歴史故に自分とは違うものや人に排他的になりがちな側面もまだ残っているのが現状です。
その側面が見えるのが“子どもの教育“。
幼稚園時代から、
“みんなが同じではないといけない”
“空は青い”
などという、凝り固まった固定概念をもたされてしまっているのです。
“幼稚園の作品展を見に行ってまったく同じ絵が飾ってある・・・”
などという場面は、私にとって違和感を覚えます。
同じ「テーマ」であっても子どもの発想は十人十色。
様々な色や発想があってしかるべきなのです。
それを、大人がみんなと同じでないとダメ、変な風に見られるかも・・・などと、手を加えたり誘導したりすることで子どもの発想を抑えつけてしまっているなんて、子どもの可能性を潰していることに他ならなりません。
子どもの教育においてはもちろん、会社や保護者会などでも、まだまだ村八分的な発想が日本には残っています。
昔は今よりも外からの文化が入ってくることが少なく、変化を恐れていた気持ちもよくわかります。
また、それぞれの村の絆が深く、ルールや独自の文化があり、そこに入れないと生きてはいけないという背景もあり、自分たちとは違うものを排除することによって、自分の身を守っていました。
けれど、それらの思考が現在にも受け継がれ、
・肌や髪の色が違うというだけでいじめられてしまう
・少し人よりはっきり物を言うから生意気、と捉えられてしまう
・みんなと同じではないから、という理由で仲間はずれにされる
のは実にナンセンス。
大人がこのような価値観を持ち、子どもに受け継がせているようでは、多様なバックグラウンドを持った方と国内でも過ごすようになる20年後には、子どもはとても生き抜いていけません。
一方、他国のほとんどは、幼少期から多様性に溢れた環境で成長していきます。
それは植民地にしたりされたりと、悲しい戦争の歴史も背景にはありますが、ほとんどの国では一つの国に実に様々な民族が住んでいます。
アフリカ系の人もいれば、アジア系の人もいて、ヨーロッパ系の人がいる・・・肌の色、目の色、髪の色は当然違います。
それぞれの文化があり、考え方がある中で、子どもは多様な価値観に自然と触れているのです。
もちろん個人差はありますし、中にはその多様性を受け入れられない家庭もあるでしょう。
しかし、日本よりはるかに、自分と違う「他者・価値観を知る、認める」という環境が社会の中にあるのです。
(肌の色、髪の色、食べる物が違う、などというだけでのいじめがインターナショナルスクール内で起ころうものなら、先生、保護者も交えた大事件へと発展します。)
この「多様な価値観を知る、認める」ということは、実は大人になってからではとても難しい。
なぜなら今まで育ってきた過程の中で、自分なりの固定観念が既に作り上がってしまっているからです。
これまでに出会った人、行った場所、聞いた意見、世間の評価・・・などなど、たくさんの外的刺激を受けて人間は自分なりの固定観念を作り上げます。
それは成長するにつれ固まり、崩すのが難しくなります。
自分と違う観念を持つ人を受け入れることは、大人では容易ではありませんが、固定観念の固まる前である、乳幼児期の子どもたちは違います。
言葉が通じなくとも、髪や肌の色が違くとも、すんなりと他者を受け入れることが出来るのです。
固定観念が固まる前に、日本のみならず世界にも目を向けることで、豊かで柔軟な価値観を持ち、世界の多様性を受け入れ、しっかりとコミュニケーションのとれる、世界中どこでも活躍でき、愛される世界人へと成長していくのです。
そしてこのような価値観が形成されるか否かは、親・大人の価値観が大きく影響してきます。
子どもは一人ひとり、素晴らしいものを持って生まれてきます。
何かを躍起になって詰め込むのではなく、その子がもともと生まれ持った素晴らしいものを、親・大人がスムーズに外に出せるようにすることが大切です。
だからこそせかいくでは、幼児教室を開講するなどのお子様への直接的なアプローチではなく、お子様の将来の活躍のために、まずは「ご両親・大人が学ぶ」ことを大事にしています。
そんな世界人になるためには、人としての土台を築く乳幼児期に、いかに必要なキャリアを築けるか、が重要になってきます。
世界人になるために、乳幼児期に必要不可欠なキャリアを大きく分類すると次の5つ。
言語というのはただのツール(道具)だと思われがちですが、実は言語は”文化的特徴”を持つという研究結果が出ています。
つまり、
「どんな言語を母語にするか(使用するか)が、その人のアイデンティティや人格、価値観にまで影響を及ぼす。(慶應義塾大学名誉教授、鈴木孝夫氏による「タタミゼ効果」)」
ということです。
極端にいえば、日本人の両親を持つ日本人で日本に暮らしていても、英語を母語にすれば日本人ではなくなる、ということ。
それくらい、どの言語を乳幼児期にしっかり学ばせるか、というのは大きな問題なのです。
そして活躍できる人とは、自分のアイデンティティをしっかり持っている人なのです。
人間は自分のアイデンティティがないと、不安になり、自己肯定感が薄れます。
「幼少期に様々な国に住んだ経験がある」と聞くと羨ましいと思う方もいるかと思いますが、そんな海外を転々とした方に見られるのが、
「自分は何人かわからない」
という悩みです。せかいくでも、
「どこにいっても中途半端な気がする」
「どこの国でも外国人扱いをされる」
「あなたの国ではどうなの?と尋ねられても答えられない」
「自信がない」
という経験談も多数いただいています。
乳幼児期にしっかりと、
・母語を確立させる
・自分は何人であるかのアイデンティティを築く
・自国の習慣や文化的・歴史的なルーツを知る
というキャリアを形成することが大切です。
きちんと自己=アイデンティティを持っているからこそ相手を受け入れることもでき、自信を持って自分をアピールすることも、意見を言ったりすることもできるのです。
人は様々な人と様々な場面で関わることでコミュニケーションを学んでいきます。
コミュニケーションをとるためには、
・自分の気持ちを伝えられること
・相手にも気持ちがあることに気付き、認められること
・相手の気持ちを考えられること
が必要不可欠。
そのためには、乳幼児期にいかに友達とたくさん”遊ぶ”か、が重要です。
時にはケンカをする中で、譲る・譲られるという経験、自分の事(意見)を受け入れてもらえた経験など、様々な状況に応じた多様な変化を経験することで、コミュニケーション能力は高まっていくのです。
また、大人は外国人とコミュニケーションをとろうとする時、言葉が話せないからという理由でコミュニケーションを避ける傾向があります。
しかし、子どもはお互いの言葉が分からなくともすぐに打ち解けて、意思疎通を取れるようになります。
つまり、コミュニケーションをとるために最重要なのは言語ではないのです。
「自分も相手もお互いに楽しく、気持ちよく過ごせるようにする」
という意識が重要なのです。
そのためには、意識することはもちろんのこと、相手にとって(自分にとっても)何が”嫌なこと”なのかを知っておくこと(伝えられること)、そして嫌なことはしない、ということが大切です。
これを知っていないと、良好な関係は築けません。
この相手も自分もお互いに楽しく過ごせるようにするために必要なのが、マナーや礼儀なのです。
マナーが良く、礼儀正しい子は愛されます。
ビジネスの場においても必須なスキルですよね。
マナーや礼儀は普段の大人の振る舞いが、そのまま子どもに受け継がれるもの。
大人になってから学んだり修正したりするのは難しいものです。
だからこそ、乳幼児期からしっかりと形成していくことが大切です。
今の子が社会に出る20年後の日本は、様々なバックグラウンド、価値観を持った方と一緒に生きていく時代です。
そんな時代には、
・自分の考えが絶対に正しいと思っている
・自分とは違う人、考えは受け入れられない
という人は到底活躍することができません。
活躍できる人とは、自分とは違う他者を認め、多様性を理解できる(相手を認められる柔軟な思考を持っている)人です。
人は成長していくにつれ、自分の価値観、固定観念は固まっていきます。
まだ固まっていない、これから作り上げていく段階の乳幼児期に、世界のことを知り、多様性に触れさせることが、どんな場所へいっても、どんな人と一緒に仕事をしても活躍できる、というキャリアを形成していくのです。
どんなに英語が堪能でも、自分の意見がなかったり、自分で考えられなければ意味がありません。
我が子可愛さのあまり、親が先回りして「こうなのよね?」と気持ちを代弁してしまったり、なんでも教えてしまったり、やってあげてしまったりすれば、子どもは何が問題なのか、どうすれば解決できるのか、などという生きていく力を養うことができません。
自分で考えることは課題解決能力はもちろん、創造性や意欲的な姿勢にも繋がっていくものです。
乳幼児期には、子どもがしっかりと自分で考えることのできる環境を整えることが重要です。
日本人は世界の中でも自己肯定感の低い民族だという統計が出ています。
自己肯定感は「全ての活動の源」といっても過言ではありません。
世界で活躍できる人は、自分に自信を持っているからこそ、積極的に発言したり、意欲的にチャレンジしたりすることができるのです。
そこに、言語は関係ありません。
自己肯定感は持てるものではなく、乳幼児期から育てていくもの。
いかに親から、
「あなたはすばらしい!」
「ここに存在してくれるだけでいい!」
「あなたを愛している!」
と存在そのものを肯定(無条件の肯定)してもらえるか、が子どもの将来の活躍に大きく影響してくるのです。
以上、この5つのキャリアを幼少期に形成することが、世界中どこでも活躍でき、愛される”世界人”となるために必要な条件なのです。
つまり、冒頭でも述べたように、英語の習得に力を入れるよりも、乳幼児期から様々な体験を通して
・5つのキャリアを形成すること
・心を育てること
の方がはるかに重要なのです。
このように、世界人とは決して語学が堪能な人ではなく、一言で言えば
「人間味が豊か=人間力がある」
人です。
そしてそんな世界人へのキャリアは、大人がどんな風に子どもと関わるかによってももちろんですが、実は乳幼児期の遊びの中、経験の中で築かれるものも多いのです。
大人からすれば、
・遊んでいるより習い事!
・同じ時間を過ごすなら、遊ぶより文字の練習!
などと思えるかもしれませんが、乳幼児期の遊びは大人が思っている以上に、人間としての大切なキャリアを子どもに形成させてくれるのです。
乳幼児期の遊びがいかに重要かは、学力が高い北欧、国民の幸せ度が高い北欧の姿が証明しているのではないでしょうか。
遊びは学び。
遊ぶことは子どもに、
などなど、多くの心の体験・学ぶ楽しさ・工夫する力などを身に付けさせてくれます。
これらのキャリアを持った子こそ、どんな社会の変化へも対応でき、世界中どこでも通用する”世界人”になることができるのです。
乳幼児期に感じ・経験したことが、子どもの血となり肉となり、柱となっていきます。
乳幼児期には外国語ではなく、心と体(五感)の体験を豊富にすること
それが、真の”世界人”になるために必要な、”幼少期のキャリア”なのです。